ジャーナリスト崩壊2008-09-07

マスコミの報道「後継総裁」を見るにつけて、上杉隆著 『ジャーナリスト崩壊』 (幻冬舎新書)で書かれている「記者クラブ」のくだりが、脳裏にちらつく。

  • (引用 170p~171p)
     彼らにとっては何を取材するかはほとんど重要ではない。重要なのは、他の記者が取材に行くかどうか、ということなのだ。つまり、単に仲間はずれにならないかどうか気を遣っているに過ぎないのである。
     この驚くべき判断基準は、世界のジャーナリストたちの精神と対極をなす。海外の記者ならば、他の記者が取材していたら、自らはそれを避けるだろう。他社と同じ情報、同じ記者、同じ映像をいくら並べようとまったく評価はされない。他社と違う切り口、異なったものの見方を提示してこそ、初めて一人前のジャーナリストとしての存在価値が認められるのだ。
     ところが、日本の記者クラブはまるで逆である。可能な限り同じ情報に接して、ライバルたちとともに行動し、同じような記事を並べることが、記者の仕事だと勘違いしているかのようだ。(引用ここまで)


できレースと言われながら、表出過多となる自民党総裁候補議員の映像に炙り出される”ぶらさがり”と言われる記者の群れを見せつけられると確かに「ジャーナリスト崩壊」と願いたいと思う。


  • (引用 8p)
     最後に残った護送船団方式の業界こそがマスコミ、中でも記者クラブなのである。その耐用年数もいよいよ限界に近づいている。果たして沈没前にその船団から脱出できるメディアは、生き残れる記者は、一体どれほどいるのだろうか。
     インターネツトなど新しいメディアの台頭してきた現在、既存の報道機関が消減する日も案外近いかもしれない。すでに、日本のジャーナリズムの崩壊は始まっている----。(引用ここまで)

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